04-05シーズン終了と共に今年もチームの大黒柱が2人
ラ・レアルより去りました
バレリとアルキサの二人のベテランです
その結果、
大幅に若返るラ・レアルですが
それでも、新たなベテラン、ガイスカ・ガリタノ選手が加入
熱きバスク魂を持つ頼りがいのありそうなニュー兄貴です


去って行く人たちにお疲れさまを
新たに加わる人たちにようこそを

04-05年度版の『去る人来る人』です
(なお今季、大きな変化として会長とスポーツディレクターが
変わりましたが、その人たちはインタビューが難しすぎて
フォローできませんでしたので悪しからず)
20050925up


Valery Karpin  20050528

引退

言葉編>> 写真編>>


Bittor Alkiza  20050528

引退

Agur Bittor!>>


Gaizka Garitano MF/背番号8
20050621

Eibarより移籍。3年契約

1975/07/09、ビルバオ生まれ。
アスレティックビルバオの下部組織で1993/94シーズンにデビュー
1999まで、96/97シーズンにLleida(2部A)に所属した時期以外、アスレティックB所属
1999-2001、2部BのOurenseに所属
01/02シーズンから4シーズン、Eibarに所属。04/05シーズンは38試合出場、5ゴール
「移籍を決めるのに悩むことはなかった。あと2年、エイバルとの契約が残っていたが、ラ・レアルからきちんとしたオファーが1ヶ月前にあって、それがとても俺にとっても申し分ない内容だったので、決断するのは早かった。2日後くらいには喜んでと返事をしたよ。
(アスレティックなどからもオファーがあったが)俺は常にこのチームに来たいとはっきり思っていた。だから迷うことはなかった。だから今はとても満足している。ここでプレイできることが楽しみだ。アスレティックが興味を持ってくれていたことも確かで感謝しているが、移籍のための諸条件をクリアするために尽力してくれたのはラ・レアルだった。
ホセマリ(アモロルトゥ)とはもう長い付き合いになる。出会いは(エイバル監督時代の)2年前からじゃなく、俺がアスレティックのカンテラにいたときからまでさかのぼる。彼のことは良く知ってるし、彼も俺のことを熟知してる。俺のキャリアにとって、彼は大きな比重を占めてきたし、またこのチームで巡りあってさらにそうなるんだと思う。俺に何を彼が要求しているのか言わなくても判る。チームの一員として彼の役に立ちたいね。俺が来たことで今までない新しい活力がチームにもたらされればいい。そしてそれがラ・レアルの成績を上げることに繋がればいい。バスク代表などで顔を合わせてるメンバーが多いから、溶け込むのにそう時間はかからないと思ってる。
6/30に会長選があるのは知ってるし、それが自分にどう影響するのか気になっているので、いろいろな話は聞いた。候補者の二人(フエンテスとサントス)からは俺に対する評価は変わらないと言ってもらっているので、今は安心して状況を見守ってる。
(セグンダからプリメーラへ)これまでにもプリメーラのチームからのオファーはあった。だが家族をエウスカディに住まわせたいと思っていたので、実現することがなかった。それにエイバルでは俺は自分の家のように心地よく過ごすことが出来て、ますます他に移るという考えは浮かばなかった。だが、ラ・レアルは俺の希望をほとんど叶うクラブだった。バスクのチームであること、歴史ある素晴らしいチームであること。そうしたことが俺には魅力的だった。プリメーラに来るに当たってこれ以上の条件はないよ。
(もうすぐ30歳を迎える)29歳と言う年齢は選手としての円熟期だと思う。体力的にも問題はないし、まだ何年もプレイできると思っている。3年契約を全うして出来れば、このチームで引退できたらいいね。それが今の俺の一番の夢だ」
*おまけ*
韓国遠征でウィルスに感染し寝込んでしまったガイスカ兄貴のインタビュー
ラ・レアルでのガイスカ・ガリタノの第一歩は、残念ながら必ずしも心弾む一歩とはならなかったようだ。ウィルスによる体調不良でかなり重篤な状態だった彼は韓国ではチームメイトとの練習もまともにできず、アジアツアーの第一戦に15分出場しただけだった。

まずはガイスカ、韓国から戻って来て今の体調はいかがですか?
「良くなってきたけど、まだ本調子じゃないね。それでも毎日少しずつは良くなってきてる」

どのようなウィルスだったんですか?
「それも良く判らないんだ。だからいったい何の症状だったのかも判ってないよ。だけどベットから起き上がることもできなかったからね。数日間、かなり具合が悪かったけど、少しずつ良くなっていったんだ。本当に強力なウィルスによって体力を消耗しきって、いまだに元に戻ってない感じだ」

不運でしたよね。韓国について2日後、ちょうど練習を始めたところでしたから。
「本当にその通りだよ。韓国に着いた途端だからね。文字通りベットから起き上がれなくなって、練習にも出れなかったんだ。それでも今は良くなってきたから、一刻も早く練習に参加したいね」

韓国では何か見ることができましたか?試合とか。
「最初の試合には15分間出場したんだけど、実はその時から具合は良くはなかったんだ。その試合以降はもう部屋はおろか、ベットからさえ出ることもできなかったね。2試合目はTVで見たよ。最後のは会場で見たね」

練習は数日間できたんですか?
「出来たよ。最初の2日間は予定通りの練習をした。1試合目まではね。具合は悪かったけど良くなるかと思ってたんだ。悪くなる一方だったけど」

どこか訪れる事は出来ましたか?
「滞在してた630号室だけだよ。部屋から出れず、ほとんどベットの中さ。韓国にいた間ずっとね。ホント残念だよ。行ったことない場所に行くのが俺は大好きなんだ」

具合が悪くなった時、部屋を替わらなくてはならなかったんですよね。
「そう、イゴル・ハウレギも具合が悪くなってね。俺と部屋を替わったんだ」

チームには馴染みましたか?
「いいよ。これまで何の問題もないよ。皆いいヤツだよ。何人かとは以前から知り合いだったし、新しい人とも知り合いになったけど、本当みんな凄く謙虚でいい人たちだった」

たくさんのギプスコア出身者達に囲まれてどうですか?
「全く問題ないよ。俺たちはエウスカルドゥンだし、実際すぐに溶け込めた。考え方や好みも似てるしね。最終的には隔たりなく分かり合えてると思う」

そうですか。ところで、タイミングよくアスレティックからも契約の話があったそうですが、ラ・レアルを選んだ事を悔やみはしませんでしたか?
「全くないね。俺はラ・レアルに来る事ができて超満足してるんだ。今は全力で練習に臨みたいと思ってるよ。本当に俺は満足してるんだ」

今シーズンについてですが、どのポジションでプレイする事になると予想していますか?
「判らないね。今はプレシーズンだし、そうしたことについては考えていない。俺が考えるべき事は一刻でも早く練習できる体調に戻す事、その上で監督が誰がどのポジションでプレイするかを考えてくれるさ」

ある意味、伝説となるような選手だったカルピンやアルキサと同じポジションをプレイする可能性が高いと思いますが、そのことについてはどのように感じていますか?
「重大な責任を背負ってると思う。今年引退した二人の偉大な選手と同じポジションなんだからね。彼らの代わりなんて誰にも出来ないよ。彼らがラ・レアルにおいて果たしていた役割も、フットボールの世界において果たした業績も。俺には俺のキャラクターがあるわけだし、それを最大限活かしてチームに貢献できればいいと思ってる。彼らの代わりになることは難しいよ」

韓国から戻ってきて今日から練習に参加します。もう普通に動けますか?それともまだ病気の影響が残ってますか?
「土曜日に少し練習をして、昨日も一人で練習していた。今日はもう少し動けるんじゃないかな。少しずつ元に戻していこうと思ってる。まだ100%の体調とはいえないからね」
2005/07/26 MD


Daniel Cifuentes DF/背番号18
20050702

Eibarより移籍。4シーズンの契約

1980/07/30、マドリー生まれ
11歳よりレアルマドリー下部組織に所属しサッカーを始める
元スペインU17、U18代表
01/02、2部BのZamoraでデビュー。2年間所属し57試合に出場し6得点を上げる
03/04、2部BのLanzaroteに移籍、42試合に出場、3得点
04/05、2部AのEibarに移籍。34試合出場、1得点
フットボールを始めたのはどこですか?
「8歳のときに、ローマ地区という所にあったチームです」

その地区はどこにあったんですか?
「マドリーのPeinetaスタジアムの隣ですね」

マドリーからはどのようにして声がかかったんですか?
「ローマはその当時マドリーの下部組織だったんです。スタッフが僕たちの様子を身に来ていて、そのうち僕のプレイが彼らの目に止まって呼ばれたんです」

そのときは何歳だったんですか?
「11歳です。少年部門(infantil)のBチームに入りました」

マドリーではどのように過ごしたんですか?
「全てが揃っている所でしたね。僕は順々に全てのカテゴリーを上がっていって、最終的に3部所属のチームにまでいきました」

いつでもサイドでプレイしていたんですか?
「最初は違いました。もっと前よりの中央でプレイしていて、ユース(juvenil)に上がった頃から少しずつ下がった位置に入るようになり、今に至るという感じです」

マドリーを離れなければならなかったのは辛かったでしょうね。
「多少辛かったですが、それが人生です。チームは僕を更新しないと言ってきたので、チームを離れなければならなくなり、僕は他のチームを探し、サモラで2年を過ごすことになりました」

その頃にメンディリバルが登場するわけですが。
「そうですね。彼はランサロテにいたんです。サモラが僕の扱いをちょうど考慮していて、更改の話が確定していなかったところへカナリア諸島からのオファーがあったので、僕はそちらに移ったんです」

メンディリバルはその頃、貴方のことを知っていたんでしょうか?
「それは判らないですね。サモラにいた頃、ランサロテを相手に試合をしたことがあって、その当時彼はそこの監督でした。恐らくその時に彼が目を止めてくれたんじゃないかと思いますけどね」

彼のチームに移籍して以来、彼は常に貴方を用いてきました。
「そうですね。最初から彼は僕をとても信頼してくれていました。移籍した年、僕はランサロテで全ての試合に出場したし、エイバルへ監督が移った際も一緒に連れていってくれました。エイバル時代もやはり、ほとんど全ての試合に用いてくれました。もちろん、怪我をしていたときは別ですが」

ここ2年の移籍において、メンディリバルは少なからぬ影響を貴方に及ぼしていたわけですね。
「それは確かですね。僕のスポーツキャリアの向上には彼の影響は大きかった」

ランサロテから移籍するとき、メンディリバルはもう一人選手を連れて行こうとしていましたよね。
「ええ、ウラジミールです」

しかし彼はエイバルではなくレバンテBに移籍することを望みました。私から見ると、貴方の選択のほうが正しかったように思えます。
「僕もそう思います。二人とも同じくレバンテBとエイバルからオファーをもらっていました。僕にとってはより多くセグンダでプレイできる可能性を感じたのがエイバルでした。多少金銭的には下がったとしても気にならなかった。とてもいい選択だったと思っています。多くの試合に出れて、その結果こうしてラ・レアルからオファーが届いたんですから」

ラ・レアルとエイバルで何か違いを感じますか?
「ラ・レアルの方が、設備が整っています。当然のことでしょうが。練習のための環境とか、施設が立派です。まるで天と地ほど違います。エイバルはもっとこじんまりとしたクラブです。でも規模は小さくとも、その範囲での最高の環境を提供してくれました」

ではメンディリバルとアモロルトゥの間では何か違いがありましたか?
「そんな違いはないと思いますよ。二人とも同じ学校を出ているし、同じような考え方を持っている。ただ、メンディリバルのほうが選手の前では強気に振舞いますね…。二人はそれぞれの方法をもっていて、それをとても上手に使いこなしているんです」

昨年のエイバルの活躍はいい思い出として残っていることでしょうね。
「もちろんです。とても楽しかったですよ。チーム全体が意思統一されていて、よく団結していました。フィールド上でその一体感を肌で感じることが出来ました。必ずしも毎試合いい結果ばかりではなかったし、最後に昇格を決めることが出来なくてそれはとても残念だったんですが、ファンも我々と一緒になって盛り上げてくれました。」

エイバルからそんな遠く離れたわけでありません。今年も彼らのことは応援しつづけるんですか?
「当然ですよ!日程が許す限り直接応援に行こうと思っています。土曜にラ・レアルの試合があって、日曜にエイバルがあればイプルア(エイバルのホームグラウンド)に足を運びますよ。確実に。それに、大好きなんです。今まで自分が所属していたチームを観戦するのが」

新しいエイバルはどうですか?
「いいと思います。まだ新体制がスタートしたばかりですし、プレシーズンはチームを作り上げていくための期間です。でも彼らは目下の時点で、すでにとても満たされているはずです。なぜなら去年なかったものを彼らは手に入れたからです。昨年よりも少しだけ、自分たちのことを誇りに思えること。自分たちがいい結果を残せるのではないかという自信が持てること。こうした気持ちはとてもいい影響をチームに与えるはずです」

ガリタノが共にラ・レアルに移籍したのはあなたにとってもありがたかったのでは?
「彼と一緒だとやりやすい面があることは確かです。でもラ・レアルの選手たちは本当にいい人たちばかりなんです。彼らとは率直に話しあうことが出来る。このチームの雰囲気は去年のエイバルとよく似ていますよ」

韓国滞在はどうでした?
「良かったですよ。大筋においていい結果を得られたと思います。一番良かったのは、チームメイトとの共同生活です。快適に過ごせたし、お互いに知り合ういいきっかけになりました」

悪かった点は?
「気候です。プレシーズンをするのに一番適して場所だとはいえませんね。暑さと湿気が凄くて。それがかなり身体への負担になりました。でも、その状況下でも、自分たちのベストは尽くしました。またトーナメントの高いレベルを考えると、味わった苦労が無駄にならない経験が出来たと思います。それに実際自分たちがいい結果を残せたという感触を持っています」

結婚されているんですか?
「はい。二人の子供がいます。五歳の息子と生後半年の娘です」

随分若いお父さんですね…。
「子供が出来たのが19歳6ヶ月のときですから」

サンセバスティアンには馴染めましたか?
「とても快適ですよ。家族皆で満足しています。子供たちはいつだってすぐに変化に順応します。これまで寒いところから暑いところへと移り、今度は逆に暑いところから寒いところに移ってきました。でも問題はありません。実際、街のことは心配していませんでした。サンセバスティアンは素晴らしい町ですから」

マドリーに再び戻れるかもしれないという可能性が、ここにきてまた現実味を帯びてきたわけですが、それに付いてはどう思っていますか?
「焦らず一歩一歩前進していこうと思っています、全てのことがそうであるように。時として人はちょっと遠い道のりを人生から与えることがあります。その事実は受け止めなくてはならないし、希望だけは最後まで失ってはいけないんです。自分の夢をかなえるためにはいつだって前進することが必要なんです」

その夢とはなんですか?
「僕の夢はプリメーラでプレイすることでした。例えそれが一試合だけだったとしても。その夢を実現するためには、まずは違う場所で生活の糧を得なくてはなりません。僕はこれまでそうしてきました。変わらない闘志でフットボールに取り組んできました。そして最終的にここ、プリメーラのチームに辿り着くことが出来たんです」

来シーズンはどのようなシーズンにしたいと思っていますか?
「ラ・レアルで出来るだけ多くの試合に出られたらいいと思っています。そしてチームがリーガの中心で活躍できること、さらに望みうる最大限の結果を得ることが出来ればいいと思っています」
2005/07/31 DV

Alvaro Novo  MD/背番号10
2005/08/31
アトレティコマドリーより移籍、1シーズン目の内容によって契約更新
1978年5/16生まれ コルドバ出身
1997-1998:Carabanchel(リーグ37試合/10ゴール)
1998-2000:Mallorca B(通算リーグ32試合/1ゴール)
1999-2003:Mallorca (通算111試合/14ゴール)
2003-2005:At.Madrid(通算37試合/1ゴール)
2005/09/04 RS
こちらに来て、数日経ちましたが、今はどのような気分ですか?
「とてもいいよ。素晴らしいクラブに来ることができたって実感してる。プリメーラの重要なクラブの一つだし、整った組織力も持っている。それに、ロッカールームの雰囲気も最高だよ。信じられないくらい。皆すごくいい人たちなんだ。初日から親切にしてくれて、色々と手助けしてもらっている」

この街を探索する機会はありましたか?
「ちょうどこの週末は、練習がなくて落ち着いて過ごすことができたよ。1日目は疲れ果てていてホテルで休んでいたけど、昨日はサン・セバスティアンを見て回ることができた。期待していた通りの街だったよ。俺がこれまで見たことのある街の中で1、2を争うくらいの美しい街だ。広場や通り、住んでいる人たち、穏やかな暮らしぶり…。これ以上は望めないね」

このチームに来ようと思ったのは何故?
「ラ・レアルのオファーがが俺の望む条件を全て満たしていたからだ。このクラブには歴史もあるし、リーガの重鎮の一つだ。また俺に対して常に敬意をもって接してくれた。このクラブは選手に高い能力を要求していると思うし、チャンピオンシップでいい成績を残せるだけの潜在能力も持っていると思う」

何か個人的な目標はありますか?
「試合に出ること。昨年が思わしくない年だったので一刻も早く身体を動かしたいよ。マドリーでの2年目はほとんど試合に出れなくて、それは初めて味わう困難な経験だったね。再び自分のプレイに自信を取り戻したいし、信頼してくれたラ・レアルのフロントに応えたいと思っている」

フィールドではどのような選手なんですか?
「自分自身に付いて語るのはあまり好きじゃないんだ。見てくれた人たちが判断してくれればいいと思う。でも一つ保障できるのは、俺はピッチ上では常に全身全霊をこめて、倒れるまで戦うタイプなんだってこと」

ポジションはサイド、それとも中央?
「その二つだったらどちらでも問題なくこなせるよ。マジョルカでデビューしたときはピボーテだったんだけど、フェルナンド・バスケスの指示でサイドでプレイするようになった。それ以外にも、たとえばルイス・アラゴネスのもとではセンターでプレイしていたし、困ることはないと思う」

早くデビューしたいでしょうね。
「すごくね。早くアラベス戦でファンの前に出たくうずうずしてるよ。今度の水曜(9/7)にエイバルとの親善試合という絶好の機会があるとはいえ、アノエタでの公式戦はまた別格だからね」

チームがあなたに寄せている期待を感じていますか?
「もちろん。俺にとってこれは厳しい挑戦だと思う。レアルソシエダのために俺は全力を尽くすつもりだし、ベストのノボをお見せできるように頑張るだけだ」
 
2005/09/05 MD
ラ・レアルでコルドバっ子はどのように過ごしていますか?
「正直いうと、この展開には驚いてる。何もかもが急なことだったから。最後の瞬間まで、いいチームとめぐり合えることを期待してたからね。オサスナとヘタフェからもオファーがあったんだけど、どこか満足がいかないでいたんだ。そうしたら、移籍期間の最終日の残り数時間というところで、この話が舞い込んできた。バケロが俺に関する問い合わせが代理人のところにあって、彼が俺のことを上手く売り込んでくれたらしく、俺にオファーを出してくれたんだ。俺はすぐに決めたよ。俺にとって、ラ・レアルはビッグチームの一つだし、若い選手がたくさんいるし、クラブは、カンテラの育成に力を注いでる。またここは素晴らしい街だしね」

いつの日か自分がラ・レアルでプレイするようになると考えたことがありました?
「いや、全く。想像したこともないよ。でもそういんもんだよ。でもそうなる可能性が全くないチームではなかったね。一部のチームだし、リーガで目覚しい成績を収めたシーズンもある。長い歴史を持ってる。俺の下に話が来たとき、即決したよ」

ラ・レアルに来ようと思った要因は何ですか?
「まずはこの街に、ファン、そしてクラブそのもの。フットボールに携わる者なら、ラ・レアルがどんなチームなのか、この地ではフットボールがどのように愛されているのか知っているはずだ」

ラ・レアルでは最も達成したいと思っている事は何でしょう?
「このチームはマジョルカに良く似ている。選手たちはとても若くて、カンテラ出身者が多い。この先、どのようなチームになるのか、まだ誰にも判らない。上手くいく年もあるだろうし、悪い年もあるかもしれない。そんなとき、ベテラン選手が呼ばれて、チームに落ち着きを与えるようになる。今、自分がそうした存在になれるときが来たんじゃないかと思ってる」

ラ・レアルで特に注目している選手は誰ですか?
「コバチェビッチは偉大なポイントゲッターだと思うよ。それにニハト。数シーズンにわたっていい成績を収めてる。彼はとても目を引く選手だね。スピードがあって得点もたくさん決めてる。一番良く知ってる選手は彼らかな。それに加えて、ラ・レアルと対戦したり、練習を見たりしたときに、印象に残ったのはアランブル。守備的MFとしてとても才能があると思う。それからシャビ・プリエト。まだ良くは知らないけど彼には興味がある」

アルコナーダ、L・ウファルテ、サトゥルステギといった名前を目にしたことは?(いずれもレアルソシエダの黄金時代を支えた中心選手たち)
「もちろんあるよ。子供だった俺が、親父や兄貴たちとフットボールを見ていた頃、ラ・レアルはリーガで一番のクラブだったんだぜ。アルコナーダ、ロペス・ウファルテ…皆凄くいい選手たちだったよ」

アモロルトゥはあなたをサイドではなく、中盤で用いるつもりのようですが。
「俺はコルドバでもカラバンチェルでも、常にピボーテで中盤の選手だったんだぜ。やりやすいポジションなんだ。でもマジョルカに移ったとき右サイドのコンバートされて、それ以降5年間その位置でプレイしてきた。だからプリメーラではずっと右サイドだったことになるんだ」

どこが一番好きですか?
「特にどこということはないよ。右サイドでここしばらくプレイしてるけど、ルイス・アラゴネスの元では中盤もこなしたし」

自分はどのようなプレイヤーだと分析しますか?
「判らない。一番いいのは数試合過ぎた後に、ファンに判断してもらうことだね」

マンサーノは以前、MD紙上であなたの武器はエリア外からのシュートだといっていました。
「そうだと思う。マジョルカ時代、いろんなFKを決めているし、外からのシュートも打ってた。その当時のマジョルカはとても攻撃的だったんだ。イバガサが中盤にいて、エトーがトップ。リエラと俺がサイド。グレゴリオ(マンサーノ)はいつでも、サイドの外からでも打てと指示していた。彼の元でシュートに対する自信をつけてもらった気がするね」

その当時のマジョルカを振り返るとどうですか?コパ・デル・レイで優勝もしました(02-03)。
「あの年は皆、幸せだったよ。その前年(01-02)が良くなかったんだ。CLに出た年だよ。降格寸前でね。シーズン終了直前まで、もう来年は2部だと思っていたよ。だから、その翌シーズンは選手全員がこのままではダメだっていう気持ちで開幕に臨んだんだ。それが良かったんだと思う。凄くいいチームに仕上がって、コパで優勝することが出来た。信じられないような年だったよ」

個人的な面ではその翌年、あなたはアトレティコ・マドリーに移籍を果たします。最初のシーズンは順調でした。
「悪くはなかったよ」

ですが、2年目は良くなかった。
「ほとんどゼロに等しい年だったね」

たった5試合にしか出れませんでした。
「何でそうなったのかを考えると、アトレティコというクラブが複雑なクラブだっていうことがあると思う。あそこでは直ちに結果を出すことが求められる。俺はそうすることが出来なかった。チームに馴染めなかったのか、もしかしたら自分の中で何かが変わったのかもしれない。それに、イバガサと俺はシーズン直前にチームに合流したんだ。契約で結構揉めてね。あの時期は早く忘れたい思い出だよ」

フットボールを辞めようと思うほど悩んだというのは本当ですか?
「それはない。本当のことを知らないヤツらが言ってたデマだ。27歳という年齢でプロのサッカー選手を辞めることは出来ないよ。辞めてしまったらどうなる?何が出来る俺たちに?他に生きていく手段はないんだ。だから身体が持つ限り前に進まなければならない。誰がそんなことを言い出したのか知らないけど、俺が鬱状態だったなんていうのも全くのでたらめだ。俺は家族とマドリーで幸せに暮らしていたんだ。多分プレイが出来ないということとで落ち込んでいたとは思うけど」

…。
「なぜかどうしてもプレイが出来ないっていう悪い時期があるんだ、どんな選手にもね」

アトレティコのファンの厳しい要求とキツイ反応に傷つきましたか?
「ああ。だけどそれはどのような場所でも起こる。それにファンはそのために選手に金を払ってるんだ。クラブが変わったら、そこがどのようなことを求められるチームなのか、知る必要がある。アトレティコのファンには長い歴史がある。要求も多い。セグンダに戻るようなことは彼らは許せないんだ」

あなたはたくさんのブーイングを浴びせられました。彼らはノボを格好の"獲物"にしたんでしょうか。
「そういう感覚でチームを去ったつもりはないよ。ただ言えるのは、あのクラブは期待を込めて幾人かの選手を取ったけど、結果は上手くいかなかったんだ。彼らを恨む気持ちは持ってないよ」

精神的に立ち直り、気力を取り戻さなくてはダメだと噂されていました。
「知ってるけど、どうしてそんなことを言われるのか理解できないよ。俺は元気だし、希望も持ってる。早くシーズンが始まればいいと楽しみにしてるし、毎週日曜日に試合をするという感覚を早く取り戻したいと思ってる。そうしたことが自信を取り戻すことにつながるんだと思う」

だからあなたは以前のノボのプレイを失ってはいないと?
「そうだ。俺は昔と変わらないノボだ。フットボールは俺の暮らしに溶け込んでいるし、練習も毎日している。たとえ日曜日に試合に出れなくても、その高ぶる気持ちは消えない。フットボールを忘れることは出来ないんだ」

カンテラが中心のチームにおいて"外部"の選手であるとき、責任はより大きく感じますか?
「自分は外から来た選手だし、さらに27歳だ。そしてカンテラ出身の若手で構成されたチームでこれからプレイをする。彼らから、夢や意欲を分けてもらえるだろうし、逆に俺たちは経験や知識-それは長い間プリメーラにいたことで得ることの出来たものだ-を伝えることが出来る。それは大きな責任だと思ってる」

アモロルトゥはあなたをカルピンのいろいろな面で比較をしているようです。それについてはどう思っていますか?
「相手はカルピンなんだぜ?セルタでもラ・レアルでも素晴らしい実績を残してる選手だ。彼が素晴らしい選手だということに俺は何の異論もないよ。だから彼の代わりを務めることが出来るのはとても光栄だね。彼がここで果たしていた役割を俺が引き継ぐことが出来たら最高だよ」

個性のある選手を、というのがバケロの求めていた条件でもありました。
「そうだね。ラ・レアルに呼ばれるからには、クラブが選手に求めることも多いだろうし、実際多いんだ。もしも俺がクラブの満足するようなプレイが出来たら、この関係は続いていくんじゃないのかな?俺は続けたいと思っているし」

アノエタの雰囲気とその観客たちの反応はどんなものだと予想していますか?少し冷たい?
「覚めてるかもしれない。でも敬意を表してくれる観客だと思う。どのチームでもそういう感想を持ってると思うよ。ラ・レアルのファンは自分たちのチームだけでなく、対戦相手にも礼儀正しく接してくれるんだ。彼らはフットボールが好きなんだ。だからたとえ結果が良くかろうと悪かろうと、いつでもサポートしてくれるんだ」

あなたの契約は普通とは少し違っていて、1年+2年という形です。もしもいい成績を残すことが出来たときは、さらに2年更新できる。
「その通り。俺は3年間ここでプレイしたいと思ってるよ。君が言ったように確かにこの契約は珍しくて、1年目はレンタルでオプションが2年。全ては1年目にかかっているんだ。だからこの1年に俺が上げなければならない実績と掛かってくる責任を想像できるだろう?もちろんそれだけじゃなくて期待もあるけどね」

ドノスティアで過ごす初めての日々で、何が一番印象に残りましたか?
「街の人たちだね。いつもある街に着くと、そこに住む人たちを観察するのが好きなんだ。ここの人たちはサイコーだよ。とてもオープンで、自分たちに出来る精一杯の手助けをしてくれるんだ。相談に乗ってくれて、励ましてくれる。それが一番大切なことだよ。その気持ちがフィールドで戦ってる選手にも向けられるんだと思うね。それが一番ここに来たときに印象に残ったこと。ホント素晴らしいよ。ハビエル・オライソーラ(元マジョルカ選手、ドノスティア出身、ラ・レアルの用具係のオライソーラさんの弟)とも話していたときにも言われたよ。何も心配することはないって」

ラ・レアルは今シーズン、どのような成績を収めるんでしょうか。
「それを今話すのは難しいね。ルイス・アラゴネスがいた時のマジョルカのことを思い出すんだけど、シーズン開幕して5試合経っても俺たちは勝ち点1しか上げられないことがあった。だけどその年、俺たちは結局CL出場を決めたんだ。誰にもどんなシーズンになるかなんて判らないんだ。大事なのは開幕後、数試合のうちに俺たちが自分たちのプレイスタイルを見つけて、自分たちに自信が持てるようになることだ」

あなたはこれまで何人もの偉大な監督たちの元でプレイして来ました。アラゴネス、クレシッチ、マンサーノ、クラウス…。誰のことが一番思い出に残っていますか?
「全ての監督から何かしら学んだことがあると思う。誰でも悪い思い出は忘れようとするから、結局いい思い出だけが記憶に残るだろう?その中から二人選ぶとしたら、ルイス(アラゴネス)とマンサーノだな。二人の下で若かった俺は多くの大事なことを学んだ。ルイスはまるでフットボールそのものみたいな人なんだ。マンサーノはまたそれとは違うタイプでね。もっと選手と友達みたいになるんだ。よく話しかけてくるし。彼らは選手と個人的な関係を築くことが好きな監督だったね」 

アルバロの家族は23歳の奥さんLauraと
2ヶ月の娘Sofiaの3人
映画が趣味で、現在も通信教育制大学で歴史を学んでいる

 
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