2005/9作成

5/28シーズン最終戦、娘のルネちゃんを胸に引退セレモニーに向かうビチョル
この日、リーガ出場417試合、そして3回のスペイン代表試合という記録と
ラ・レアルとアスレティックの両チームでキャプテンマークを巻いた
唯一の選手という名誉を残して、彼は14年間の現役生活に幕を下ろした
*…父から息子へ贈る言葉…*
イニャキ・アルキサ(ラ・レアル会長:1983-1992)

 

(ビチョルが一番の思い出の試合に
あげたアトチャでのセビージャ戦。
会長である父イニャキ氏に記念
記章を贈る)
当日の様子は(カディスの自宅の)テレビで見るよ。息子もそうだろうが、私にとっても感慨で胸が一杯になるだろうね。
私は息子は昨年引退すると思っていたんだ。脚の痛みと背骨の痛みで苦しんでいるのを知っていたからね。だが、息子はもう1年続けることを望んだ。だが、今年の1月30日のビジャレアル戦に出ていた彼を見たあと、私は言ったよ。「息子よ、もう続けるのは無理なんじゃないか」とね。これ以上ないくらい息子の体調は悪そうだったんだ。結局、その通りになったわけだ。
息子はアスレティックを辞める時に引退すると私は思っていたんだ。2年前にね。嫌というほど怪我に苦しめられる息子の姿を見てきていたし、これ以上彼が苦しむ姿を見たくなかったのだよ。それだから正直、息子がラ・レアルに戻ったことを私は手放しでは喜べなかった。それでも、ラ・レアルからオファーがあったとき、息子はビルバオではなく、ラ・レアルで現役を終えることを選んだんだ。
(1994年の夏、2.5億ペセタでビチョルはビルバオへ移籍する)
私にはそうなることが薄々判っていたよ。トシャックがその前年、息子を売りたいと言ってきたんだ。まだ私がラ・レアルにいた頃だ。
移籍は息子には辛い出来事だった。彼はアスレティックには行きたくなかったんだから。他に移籍できるチームから話が来るのを待っていたんだ。確かにバルサ、マドリー、テネリフェが興味を示していたが、どこも具体化はしなかった。私に彼は言っていたよ。「駄目だ。アスレティックだけは駄目だ」って。だが、私は彼にはっきりと言ったんだ。「ラ・レアルはおまえを必要としていない。トシャックはおまえを売ってその金で、ルイス・ガルシアを獲得したいんだ」
ファンも彼の移籍を止めようと横断幕などを出してくれたが、どうしようもないさ。監督から不必要だと思われたらね。しかしアスレティックには我々は感謝しなくてはならないと思っているよ。ラ・レアルと同じように、彼を大切にしてくれたんだからね。


(1994年、移籍騒動の渦中)

会長と選手という関係でいることは、息子にとっても私にとっても困難なものだったね。あの頃、口さがない連中から、会長の息子だからラ・レアルの選手になれたなどと言われ、息子だけでなく私自身も傷ついたよ。会長を辞するのも必然だったんだ。息子がチームにいたら、私の苦しみも増していただろうからね。

息子が13歳の時、何人もの監督に、息子さんはこの先フットボール選手としてそんなに伸びないでしょうと言われたものだよ。実際は全くの見当違いだったわけだがね。ラ・レアルのユースに入団してから21年、誰もこんなに長く彼が現役を続けられるとは思ってもいなかった。
確かに子供の頃からアイツの背は低かったよ。でも、その頃の彼にはそんなこと大きな問題じゃなかったんだ。マラドーナを見てみれば一目瞭然だ。

昨日ももちろん息子と話をしたさ。でも、フットボールの話じゃない。孫のルネの近況を聞かせてもらったよ。
MD 2005/05/26


(トシャック監督と)


*2005/05/26 Zubietaでの最後の記者会見*
辞めなければならない時が来たんだと思う。クラブからもう1年契約延長を申し出てもらったけど、クラブにとっても自分にとってもそれは有意義なことではなかった。自分のコンディションを考えたら、もうこれ以上は出来ないと判断したんだ。3月に手術した右脚は順調に回復したが、5年前に手術した左脚の状態が選手生活に耐えられる状態ではなかった。何度も考えた結果の辛い決断だったが、それが一番正しい決断だったと思う。

リーガエスパニョーラではレベルの高いプレイが要求される。100%の実力を出すことが何よりも優先される。今の自分の状態ではプリメーラを戦う資格はないと思う。身体が万全ならばもっと長く続けたいと思うが、今シーズン試合でも練習でももうこれ以上がんばることができなくなったんだ。

いつも全力を出してきたつもりだ。やれることは全てやった、もしもやり残したことがあったとしてもそれは自分の力が足りなかったためだったと、心の底から思える。14シーズン、417試合、これほど長い間プレイできるとは思っていなかったし、自分はとても幸運だったと思う。誰もがこんなに長く続けられるわけではないんだから。

ラ・レアルでデビューし、アスレティックに移り、そしてまたラ・レアルに戻ってきた自分のキャリアを何よりも誇りに思っている。それぞれのチームで素晴らしい選手生活を送ることができた。俺のプレイが好きな人もいれば、嫌いな人もいるだろう。それでも、ファンの人たちは俺に対して常に敬意を払って接してくれた。ギプスコアのファンもビスカイアのファンも、自分たちのチームをちゃんと評価している。常に精一杯のプレイを見せていれば、彼らは決して非難したりはしないんだ。それに、マスコミ、ファンから受けた暖かい支持を決して忘れない。本当に感謝している。

昨年はいいシーズンが送れたと思う。多くの試合に出れたし、CLにも出場できた。残念だったのはリーガでいい成績を残せなかったこと。一方で、今年は怪我のために体調を万全にすることが出来ず、チームにほとんど貢献出来なかった。それでも今年、多くの大事なことを俺は学んだと思う。
自分の選手生活で胸を張れる点があるとしたら、大きな好不調の波もなく継続してレギュラーを勤めることが出来たことじゃないかと思う。昨シーズンを除けば、どのシーズンにも満足している。昨シーズンに関しては、自分自身の出来に対しても、チームの結果に対しても満足していない。だが、多くの若手がデビューを飾り、活躍をしてチームは残留を果たした。ラ・レアルの実績を考えれば、残留が最高の結果だったとはとてもいえないが、若手にとっては昨シーズンは多くのことを学べる大切なシーズンになったはずだ。

カンテラがある限り、ラ・レアルには未来がある。ここのカンテラは他にない、素晴らしいカンテラなんだ。だから自信を持って彼らを冷静に見守って欲しい。いつの時代だって驚くような新人が登場してくるんだから。例えば04-05シーズンにしても、目を引く活躍をしたのはまさにカンテラ出身の若手だったはずだ。ラ・レアルにはいつでも明るい未来があるんだ。
それでも来シーズンは確かに厳しいシーズンになると思う。新しいフロントも決して、魔法の杖を持っているわけじゃない。経済的な状況も選手の補強も急に事態が好転するとは思えない。どのシーズンにもそれなりの困難が待ち受けてるものだ。例え新しい選手を7人連れて来たとしても補強が上手くいくとは限らない。だからファンにはチームをいつでも心から応援し支えて欲しいと思う。
チームは変わっていく。俺がデビューしてときと今のラ・レアルとは全く違うチームになっているし、その一方で俺自身も変化してきた。昔を振り返っても仕方がないことなんだ。サッカー自体が変わってきているんだから。その変化にチームが対応していけるかどうかが大事なんだ。

現役の一番の思い出はアトチャでのセビージャ戦のゴール。その日は父(イニャキ・アルキサ会長)が金の名誉記章とダイヤモンドを贈られた日だった。父は俺が同じチームで選手で所属していることによって、ありもしない嫌疑をかけられ、会長を退いた。あの日は俺にとって特別な日だね。
監督では、ルイス・フェルナンデス。誰も俺の実力を認めてくれていなかったときに、彼だけが信じてくれたんだ。それからホセマリ・アモロルトゥ。サッカー世界で彼ほどの人格者はいないよ。

今は、フットボールに関すること全てを忘れたいと思っている。出来るだけ遠ざかりたいんだ。まぁ、2ヶ月もしたら退屈してしまうんだろうけど。でも、普通の生活が送れる状態に早く身体を戻したいんだ。この業界、痛いところがない選手なんていない。だけど俺が一番心配していたのは、今辞めなければ友達たちと笑いながらサッカーすることすら出来なくなるんじゃないかということだった。もう足はだいぶ不自由になってしまった。辞めなくてはならない頃合だったんだ。

本当ならば、バレリのように試合に出場した上でファンにお別れを告げることが出来ればよかったんだが、無理なことを願っても仕方ないし、そのためにほんの2、3分ピッチに立つような間抜けなことはしたくない。セレモニーで挨拶して、出来るだけ早くその場を立ち去るよ。そうした場は苦手だし、きっと感極まること間違いないからね。
本当はセレモニーも必要ないくらいなんだ。だって俺はフットボールとラ・レアルにはセレモニーからもうすでに十分、多くのものを与えてもらったんだから。

(アルキサ最後の試合となった2005/01/30のビジャレアル戦)
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