2002-03シーズンのバロンドール候補に
選ばれた我らがニハト&ダルコ!
二人揃って候補になっているあたりが
ラ・レアルファンには嬉しいところデスネ!
あと何年間この二人が同じチームでプレイできるのか判りませんが
きっとこの年の活躍はファンの胸の中で
そして、二人の胸の中で永遠に輝くことでしょう…
その1。
*…祝!ノミネート!…*
-ノミネートおめでとうございます!
「どうもありがとう!今回ノミネートされて自分でもすごく驚いてる。きっとコバチェビッチも同じだ状況なんじゃないかな。これは去年、俺たちが素晴らしいシーズンを過ごしたことへの褒美なんだと思うよ」


-世界最高のサッカー選手50人の中に選ばれたわけですが
「そう、そんな選手たちと自分が同じリストに入ってるなんて、すごい名誉に思うよ。だって並んでいる名前を良く見ればそのすごさが判るだろう?昨シーズンのトッププレイヤー50人なんだ。バロンドールを受賞することはないのは判ってるけど、それでも、このメンバーの中に入れただけでも満足だよ」


-それは間接的に、ラ・レアルの昨シーズンの活躍が認められたことにもなりますね。
「当然だよ。この栄誉はチームと、昨シーズンの素晴らしい成績がもたらしてくれたものだ。レアル・ソシエダ、ファン、チームメイト、コーチたち、フロントのスタッフたち…彼ら全員のおかげだと感謝してる。このクラブの一員であることを、本当に誇りに思ってるよ」
-一方でこの週末、トルコはラトビアとのプレイオフが控えています。あまり情報のない国との対戦、どのように臨みますか?
「自分達の力を信じて戦うこと。俺たちはイングランドとの先日の試合で勝てなくて、ラトビアとのプレイオフを行なうことになった。楽な相手に思えるかもしれないけど、集中して試合に臨まないといけない。90分間何が起こるか判らないし、最近は簡単な対戦相手なんていないんだ」


-しかし、抽選の結果としてはラトビアは最も戦いやすい相手ではないですか?
「確かにそうだけど、彼らを侮ってはいけないと思う。スウェーデンとポーランドに勝った実力を持つチームだ。ここ数日、ラトビアのビデオを見ているけど、皆、彼らの力に驚いてるんだ。今、俺たちは試合に向けて気持ちをすごく集中させているところだよ。トルコにとってユーロ大会に出場することは大事なことだ。ワールドカップで3位という素晴らしい成績を残した後だけになおさらね」


-ラ・レアルに話を戻すと、今週リーガはお休みです。これはチームにとってプラスですか?
「プラスだと思う。チームは身体を休めることが出来るからね。まぁ、俺は休みないんだけど。選手たちはこの休みの間にマジョルカ戦に向けてコンディションをベストに持っていかないとね」


-勝利を収めることこそ出来ませんでしたが、先週の試合を見るとチームの調子は上向いてきているようでした。
「チームが良くなってきてるのが嬉しい分だけ、結果が伴わなくてすごく悔しいよ。バルセロナ、ユベントス、そしてデボルティーボという強豪相手に、俺たちはもっといい結果が残せたはずなんだ。そうすれば、モチベーションをもっと高めることが出来た。でも少しずつラ・レアルは調子を取り戻してる。今は結果がついてこないだけだ。これであと、もう2、3勝することが出来さえすれば、チームは浮上すると思うよ」

realsociedad.com
2003/11/11
このリストに自分の名前が含まれていることをとても名誉に思っている。もちろん、これはチームが収めた素晴らしい成績のおかげだし、それゆえ、本当にノミネートされるべきはラ・レアルのスタッフ全員だと思う。ニハトと俺が選ばれたのも、彼らに多く助けてもらった結果なのだから。
このような栄誉ある賞に、チームの所属選手の名が上げられることは、ラ・レアルにとっても有意義なことだ。これは皆が胸を張ることができるニュースなんだ。ニハトと二人で、ラ・レアルと皆に感謝したい。本当にどうもありがとう。
realsociedad.com
2003/11/12

もちろん自分がノミネートされたことは嬉しいけれど、ニハトやクラブのことを考えるともっと嬉しいよ。チーム全員にとって、そして、ラ・レアルにとってこれはとても大きな意味を持つことだからね。チームの皆とこの喜びを分かち合いたいね。自分がノミネートされる日が来るなんて、夢にも思ったことがなかったよ。
ネドベド、デル・ピエロ、ファンニステルローイといった、世界のトッププレイヤーと同じリストに載ってるんだ、そのことだけでも誇らしいし、満足してる。今、ラ・レアルというチームにいられて、そして、あんな凄いシーズンを過ごせたことを神に感謝したい。だけど、ノミネートされるのは、チームのどの選手でもおかしくないと思う。ニハトと俺は多くの得点を挙げたけれど、チームのどのメンバーもそれぞれが大きな役割を果たしていたんだからね。
これから先、ラ・レアルからもっとたくさんの選手が、こうした賞にノミネートされるべきなんだ。特に今年はCLに出場してるんだから、バロンドールだけじゃなく、Bota de Oroだって狙えるはず。ここ最近、ラ・レアルがチームとして着実にステップアップしてることがこうした賞へのノミネートにつながってるんだと思う。
elMundoDeportivo
2003/11/12
その2。
*…2002-03の二人…*
二人合わせて43ゴール!
国籍も年齢も身長も全然違う二人だけど
「以心伝心」を絵に描いたような素晴らしいコンビネーションを見せてくれました
嗚呼!仲良きことは美しきことかな!
その3。
*…運命の巡り合わせ…*
最後に取り上げたのは
ESPNの2003/04/07に載っていたダルコとニハトの若い頃の話です
非常に貴重、かつ面白かったので訳を載せてみました
本文は英語なので、原語で読みたい方はコチラから-->
*

ユーゴスラビア(当時)とトルコという二つの国から
スペイン、ドノスティアにたどり着いた二人
バスクの地で巡りあうのは多くの偶然の重なった結果だったのでしょうか
それとも、必然だったのでしょうか…
そんな感慨にふけってしまう
ような素晴らしい内容です
(前半を多少、省略しています)
大と小
-Phil Ball

先日、レアルソシエダのスカウト責任者の一人と話をする機会があった。そこで私は、今やリーガのトッププレイヤーとなった二人の選手の運命を分けることになった興味深いエピソードを聞くことができた。彼と私だけの記憶にとどめるべき話も一部にはあったが、これからここに述べる話は何の問題もないことを了解済みである。ではまず、体の大きい順に従って話を始めよう…。


ダルコ--荒ぶるCFになんとうってつけの名前であることか--が、当時プレミアリーグのSheffield Wednesday にスカウトされたのは、彼がレッドスターベルグラードでプレイをしていたときだった。1995年の12月に彼はチームと契約し、翌年3月までに10試合出場し4ゴールを決めた。だが、どうやらイギリスの暮らしに馴染めていないらしいと噂されていた。それを聞きつけたレアルソシエダは、二人のスカウトマンをシェフィールドに偵察のため派遣したのだった。

ロンドンまで飛ぶと、われわれは汽車でシェフィールドに向かった。着いたのは土曜の朝。雨が降っていて死ぬほど寒い日だった…。試合プログラムを買って席に着くみると、なんと、コバチェビッチの名前はスタメンに入っていなかったんだ!素晴らしい1日の終わりに素晴らしいニュースさ!だけど、仕方ない。我々は最後まで試合を見ることにしたよ。何が起こるか判らないし、もしかしたら彼が出場する機会が巡ってくるかもしれないしね。対戦相手は確か、アストンビラだったと思う。ミロセビッチがいたからね。彼も気になる選手だったんだけど、金銭的に高くて手が出なかったんだ。

「それはさておき、前半は1ゴールも決まらない酷い内容だった。だけど、それは我々にとっては喜ばしい展開さ。それだけダルコが出場するチャンスが増えるわけだからね。そして、休憩時間に同僚が売り場から何か恐ろしく不味い飲み物(Bovrilのことか?*)を買ってきた直後、ダルコがほかのサブメンバーと練習のためピッチに出てきたんだ。しかも、我々のいる側に!それはこんな内容の練習だった。ゴールから35ヤードくらいの場所で1人がゴールを背にして立ち、もう一人がその人の頭の辺りをめがけてボールを放り投げるんだ。ゴール前の選手は飛んできたボールに対して身体を捻って、ファーストタッチでシュートする。まず最初に登場したのはダルコだった。ペアになった選手が全部で6回、ボールを放った。ドカン!ドカン!…どの球も見事ゴールに吸い込まれていったよ。ただデカイだけの不器用そうな男に見えたんだけど、百発百中さ。彼の後にイギリス人の番になったんだけど、全然駄目。6球のうち3球しか決められなかった。
(*Bovrilとはイギリスで飲まれている牛肉エキスのドリンク。塩味のないコンソメのようなもの)

次の練習は互いにクロスを蹴って、ボールが最初に当たった部分でシュートするというものだった。キーパーはいなかったけど、見た目ほど易しい内容じゃない。再び、我らがダルコは全部のボールをゴールネットに突き刺した。頭、膝、足、腰…。どこに当たろうと関係ない。まるで、それが自分の生きている証だとでもいうように、ダルコはゴールを決めていった。私たちが見ていたことなんて、彼が知っていたはずない。だけど、彼は飢えているようだった。彼の姿から伝わってくるんだ。他の連中は彼の足元にも及ばない出来だったよ」

その後、彼の出場機会はあったのだろうか。「あったよ。数分間だけだったけどね。結局シェフィールドが2-0とリードしたので、最後にどうでもいいような選手を休ませるためにダルコと交代させたんだ。彼はボールに触ることさえ出来なかったよ」


他意もなく私が彼らに2週間後、再びスタジアムを訪れたのかどうかを尋ねると、あっさりと笑い飛ばされてしまった。「冗談云うなよ!2日後にはクラブにオファーしたさ。そして数週間後、彼は契約にサインして、その年の夏にはウチに来たんだ」

試合で動く彼の姿を見ずして契約を結んだことに私は驚きを隠せなかった。「今じゃ、ほとんどのクラブがそうしてるよ。せいぜい何本かビデオを見る程度で済ませるんだ。安くつくからね、その方が。ともかく、本能なんだよ、結局は。我々は彼の雰囲気が気に入ったんだ。そして、その直感は大当たりだったわけさ」

二人のヒーローがヨークシャーの冷たい雨に濡れながらBovrilをすすった日から、コバチェヴィッチの周りでは2千万ポンドの金が動き始め、その半分はレアルソシエダの金庫の中から出されたものだった。それにも関わらず、彼らはいまだにコバチェヴィッチが試合で動く姿を見たことがなかったのだ。

あの時、練習のためにピッチに現れなかったら、彼はまだシェーフィルドの選手として、イギリスサッカー界で活躍していただろうか。あるいは、もうすでに消え去っていたのだろうか。それは誰にも判らない。ただ彼は今、ニハト・カフベチとテレパシーのように理解し合い、その素晴らしい関係を楽しんでいる。そして彼、ニハトこそ、もう一人の善き本能のもたらした、善き恩恵の選手である。ただしダルコとは随分違うケースではあるが。

再びスカウト氏の話に戻ろう。「ニハトは口を閉じてることがないんだ。全てのことに自分の意見を持ってる頭のいいヤツさ。頭の回転がとにかく速い。彼の話によると、わずか17歳でベシクタシュに入団したとき、大勢いた有名なスター選手たちは一様にニハトのことを無視したそうだ。トシャックが監督だったんだけれど、彼もまた別にニハトのことを気にかけている様子はなかった。そんな状況にさすがのニハトも落ち込んでいたある朝のこと、練習を終えたニハトの元に突然トシャックがやってきて、自分の腕時計を示した。まだ帰る時間じゃないってことさ。ネット一杯のボールをニハトに持たせると、トシャックはついて来るよう合図して、ニハトをスタジアムの裏の大きな壁のある場所まで連れて行った。チョークを手にしたトシャックは地面から7フィートの辺りに、ボールより少し大きめの丸を書いた。

「そうして、トシャックはその円をめがけて蹴るようニハトに指示したんだ。始めは近くから、そして徐々に距離を長くしながら何度も何度も繰り返し。まるで軍隊の射撃兵の訓練のようさ。ほとんど的を外すことは無かったとニハトは言っていたよ。それが延々30分ほど続き、ニハトは違う指示が出るのを待っていたんだけど、トシャックは何も言わず、黙々とチョークでニハトの蹴る位置を書き換えていくだけだった。

「しばらくして、ようやく練習が終わったことを告げられたニハトに、トシャックは何も告げずに立ち去った。彼のパフォーマンスに満足したとも不満足だったとも言わずにね。しかしその週末の公式戦、ニハトはいきなりスタメンに指名され、得点を決めた。そして、ニハトが過去を振り返ることは二度となかったんだ」

5年後、ニハトは彼の師匠であり、指導者である、このウェールズ人監督のチームに再び加わった。レアルソシエダで3度目の指揮を取っていたトシャックは、チーム不信の責任を問われシーズン半ばでクビになったが、ニハトにその解任の影響はさほど及ばなかったようだ。

弱々しかったニハトは、今やいない。トシャックからの信頼を得たことと、その実績に裏打ちされた自信によって、1997年には訊けなかった質問を昨年、ニハトはトシャックにぶつけてみた。あの謎めいた壁打ちの特訓には一体何の目的があったのだろうか?どれだけ正確なキックが放てるかを知りたかったのだろうか?「いいや、そんなためじゃない。お前が一体いつになったら、『いい加減にしろ!このクソジジイ!』ってキレるのか、試してたんだよ」
今年も息の合った素晴らしいコンビネーションを見せてね!
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